「ぼくらはみんな 生きている」 (文:高田千晶)
- 京都生涯学習カレッジ
- 6月28日
- 読了時間: 3分
(2025年4月16日配信ハッピーメール)

ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ、、、、"
この歌詞は、「手のひらを太陽に」(作詞 やなせたかし/作曲 いずみたく)で、1961年に制作され、翌1962年にNHK「みんなのうた」で放送されました。
当時10歳の私はこの歌詞に心惹かれて、よく口ずさんでいました。
ちょうど小学4、5年生の頃で、4人きょうだいの一番下の弟が誕生して、我が家も大変な時代だったんだなぁ〜と、今になって両親の状況が理解でき、遅ればせながら感謝の気持ちが湧いてくるのも、私が高齢者の域に入ったからなのでしょうか?(笑)私が一番気になった歌詞は、"生きているから かなしいんだ"の"かなしいんだ"です。そうなんだ!悲しく感じるのは生きてる証なんだ〜と幼いながらも、納得して腑に落ちたんでしょうね。
きっとその頃の私は、辛くて悲しい環境の中にいたのでしょう。
それを裏付ける物をある時に発見しました。
大事に保存している小学校時代の通知表を何気なく開いた時、小学5年生で、50日欠席と書かれてました。
全く記憶にありません。
「えっ?」と驚きました。
担任の先生の所見に、"50日の欠席にも負けずに学力が回復して良かった。"とありました
。私の5年生の学校生活の記憶を掘り起こしたら、宍粟郡の山の中の小学校と淡路の海近くの学校の生徒の文通、交歓会、文通相手宅に宿泊。5、6年生は近くの山での夏のキャンプ、皆で協力して、テント張り、食事作り、キャンプファイアなど楽しかったことが多いのです。
強いて一つ挙げるとしたら、私の体調を案じて、母や伯母がお参りしていた、京都二条城近くにある、お釈迦様の説法を聞く会に行っていたことがあります。
沢山の老人の中にちょこんと座って聞いていて、早朝の太陽を拝する作法、日々の心得、あらゆるものへの感謝、生老病死について、、などのお話でした。
それに依り、太陽が好きになり、何かしらエネルギーを感じ、「手のひらを太陽に」を歌って元気になっていったのかもしれませんね。
悲しくっていい、泣いてもいい、と思いながら。
ちょうど今、朝の連続テレビ小説で、やなせたかし氏の人生が始まりましたね。
私の子や孫は、アンパンマン世代です。
私は何を伝えられるかな〜と今、模索中です。
これからは、一念発起して、私の宇宙のアカシックレコードからの過去、現在、未来のエネルギーを浴びながら、正当な努力(正努力)を積み重ねて、魂を磨いてまいります。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
(写真は、以前、京都で親子4人で作った、1000ピースのジグソーパズルです。今、淡路在住です。)
高田千晶
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