「誰に教わるか」 (文: 慶(kei))
- 京都生涯学習カレッジ

- 7月18日
- 読了時間: 3分
(2025年7月8日配信ハッピーメール)

最近では医療機器の進化により、完全介護が当たり前になりつつあります。けれど、私の祖父が入院していた頃は、24時間の点滴管理も機械ではなく、“人の手”で見守る必要がありました。 祖父の看病は、父と叔母たち3人が交代で夜間に病院へ泊まり込むところから始まりました。しかし叔母たちには中学生の子どもがいて、朝6時には家に戻らなければなりません。昼間を担当していた祖母も、連日の早朝からの付き添いで、体力が限界に近づいていました。 そこで、朝のほんの短い時間だけですが、学校に行く前の時間を 、いよいよ小学校3年生になった私が担当することになったのです。毎朝、学校に間に合うように準備をして、病院へ。 子ども用の自転車では間に合わないため、祖母の大人用自転車を立ち漕ぎして向かいました。今でも『となりのトトロ』のカンタが自転車をこぐシーンを見ると、あの頃の自分が重なります。祖父の病室は6人部屋で、他のおじいちゃんたちもがんを患っていました。 祖父は末期がんで余命宣告もされていましたが、家族は「みんなで力を合わせればきっと治る」と信じていました。そして本当に、祖父も他のおじいちゃんたちも、少しずつ元気を取り戻していったのです。 だんだんと皆さんと仲良くなり、付き添いのいない方の食事は私が運ぶようになりました。学校の話を聞いてもらうのが朝の日課となり、おじいちゃんたちは楽しそうに耳を傾けてくれました。「そういう時はね、こうするといいよ」と、いろいろなことを教えてくれました。 ある日の給食の時間。隣の席の男の子はにんじんが大の苦手。クラスのみんなで少しづつでも食べられるようにと、なるべくにんじんはちょっとづつ盛るなど工夫をしていました。 ところがその日に限って、担任の先生が給食当番に加わり、シチューをよそってくれることに。たくさんのにんじんが入ってしまい、男の子は困り果てていました。私はこっそり、にんじんを半分だけ食べてあげようとしたのですが、先生に見つかってしまいました。 男の子はにんじんを無理に食べることになり、結果的に吐いてしまったのです。先生は「自分で吐いたんだから食べなさい」と。 私は思わず、「それは無理です」と口にしてしまいました。そして「好き嫌いは誰にでも…」そう言いかけたところで、ピシャリと鉄剣が飛んできました。 私と男の子は給食を持ったまま廊下に立たされ、私は“口答え”をしたとして、1か月間、給食抜きになりました。その夜、父は「おまえはおせっかい極まりない」と叱りながらも、腫れたほっぺをお酒でそっと冷やしてくれました。 翌朝、病院でその話をすると、おじいちゃんたちは「年長者に口答えをしてはいけない。それが礼儀だよ」と教えてくれました。 そして祖父は「やだなぁ、と思ったことも、いつか自分のためになるんだよ」と頭をなでてくれました。 以前、木村忠義先生から「誰に教わるか、が大事」と教えていただいたことがあります。きっとあの担任の先生も、誰かに教わったのだと思います。未来の子どもたちに、何をどう伝え、どのように教え、見守っていくのか。「木村先生から学べる私たちは、本当に運がいい」と実感しています。 祖父の前のベッドに寝ていたおじいさんと、ある約束をしていました。私は約束を守って給食委員になって待っていました。 おじいさんは約束通り、背広を着て小学校へ来てくれました。そのおかげで、それまでめったに出なかった「ご飯の給食」が、“火曜日と木曜日は「ご飯の日」”として定着する事になりました。 今、私は日に日に年長者へと近づいています。木村先生の「誰に教わるかが大事」という言葉の意味が、おじいさん達から教わった学びの数々が身に染みます。 「だから私は、只今を一生懸命生きる」
最後までお読みいただきましてありがとうございます。やまとの「智恵」占学情報推命学鑑定士慶(kei) |




















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