「0との出合い」絶対的なものを信じて生きる事を使命感とする。
シリーズ13【月刊誌12月号掲載予定】
「0との出合い」 シリーズ13 木村忠義
「月刊誌12月号掲載予定」
絶対的なものを信じて生きる事を使命感とする。
突然、伊勢神宮に参拝することを決心した。当時五十名近い仲間が勉強会にせっせと通っていた中から、十人ほど選ばせてもらって声を掛けた。
十人の人全部が、喜んで伊勢神宮に参拝すると同意してくれた。特に、真剣に行こうとする人達は皆、変化は何も起こらなかった。仕事のついで参加するとか、「ついで詣り」をする人たちは、すべての人がお腹を下し、一晩中便器にしがみついていた。
平日であり、境内はあまり人が居なかった。砂利道を一言も言葉なしに歩く足音が、響き渡る。ふと西行の句を思う。
「何ごとのおはしますはかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる」
真剣に参拝すれば応えて下さる神様がいると発見。それ以来、仲間と毎月のように、全国の神社参拝を重ねた。あらゆる人が参加してくれて、多い時は120人ほどになった。 ふと、古代の文献から、素晴らしい祝詞を発見した。それを、大きな掛け軸に書きまくった。
私の知り合いの女性が、「私の尊敬する霊能者が熱海におられます。一度会って下さい。」と訪ねて来られました。お歳は90歳ぐらいの方です。私の書いた掛け軸を見て、ここには神様が宿っておられます。お名前はどういう神様ですかとたずねられたので、
「いいえ、私は神様の名前は知りませんが、絶対の神がおられる直観で書いたので名前はありません。」
「神様にはお名前を付けないと失礼ですよ。」
と言われ、その場で、
「神素」(神の素)と名前を付けさせていただきました。
異常に透明感のある白い大きな手の方でした。
その後、その霊能者の老人は亡くなったのですが、古代の色々なことを研究された文献を死後戴いて、信じるか信じないか別にして、神界のしくみや、天界の事が手書きで面々と書かれていた。
この宇宙をお創りになったには、必ず神様がおられると信じていましたが、なかなか自分の力では実証出来ません。
そんなあるときに、友人の知り合いの人が、『先代旧事本紀大成経』を勉強しませんかと訪ねて来ました。彼は、四十冊の『先代旧事紀大成経』の本を持っています。全部買い取っていただけるのでしたらお分けします。という言葉に、私は全部買い取りました。そして、この勉強を始めようと思いました。
この本は、聖徳太子と秦河勝が編纂した。すぐに発禁になり、色々世の中を騒がした本で、幻の書物として、十二、三万の日本人のファンがいるそうです。
みんなで勉強しようと思ったので、この本が欲しい人は言ってくださいというと、みんな一斉に欲しいと言われ、四十冊は一瞬のうちに売れました。
この本のことは、『京都生涯学習カレッジ』の冒頭に書かせて頂いています。「ましますことなきはじめのかみ」という出だしで、最初に読んだ時には、これをどんなにして読み切るか迷ったけれども、やろうと思いました。
まったく、素晴らしい内容です。これを一生かけて読み解ければ、自分を変えられる唯一の方法だと思いました。
絶対的な神がおられ、ビッグバンの前の前提宇宙にエネルギー体として鎮座し、ビッグバン以後のことをすべて設計図通りに譲られたと書いている。堪らなく心が躍り魂がざわめく。
これ以上、お祓いすることが出来ないくらいお祓いをして、神社の神主さんにお取次ぎしてもらって鎮魂すれば、この本は絶対に読み解くことが出来る。きっとそうだ。
「神火清明」「神水清明」「神風清明」「神心清明」と「未完の過去を許して神となる」という半切に書いた祝詞を、ご参拝の度に新しく書いて持参しました。
妻が、少し感じる人だったので、お参りの度に、その祝詞に横になり、素晴らしい笑顔でうっとりする様子を示した時、私は益々神の探求にのめり込んで行きました。
妻は、平生はごく普通の人ですが、神社境内の中では、神が乗りうつるような行動をして、色んな事を教えてくれました。その有り様は神々しく、頑固な私も、頭から、この風景は真実だと思いました。
母親が、死ぬ前に頼み込んだ見合いの相手ですが、これも決められていたと勝手に思ったりします。
私たちのお参りは徹底しています。まず行き先の神社を決めると、参拝するその朝、「氣の御塩」を使って禊をします。下着は、新しい真っ白な下着を着用。水以外は飲まない。朝早く、氏神様参拝。氏神様へ行く理由は、目的の神社へ行くにはお取次ぎしていただかないといけない考えから、「〇月〇日〇〇時、私たちは、〇〇神社に参拝します。お取次ぎよろしくお願いします。」と祈ります。お賽銭は四十円をお賽銭箱に入れます。四の数字は、神との出合いを感謝する意味です。その作法は、右脳的発想ですが、情報推命学を紐解くと、これしかない。
どの神社を参拝する時も、徹底的に実行します。境内に入ると、鳥居の前で各自、御塩で私が清め、右側を歩きます。決して、真ん中を歩きません。手水舎では、口と手を洗い、拭かずに自然蒸発させて本殿に参拝します。
常に私たちは、最高の禊をして祓いを行います。
それだから、神主様による神の鎮魂が必ず降りてくることを信じています。
神主様の大幣(おおぬさ)でもお祓いを受け、神主様のお取次ぎをしてもらって鎮魂すること。徹底的にそれを守る。
岡山の有名な神社では、神主様は鎮魂した後に、
「私どものお取次ぎで良かったでしょうか。」
と手をついてお尋ねしてくださったのは、感動的でした。たぶん霊感の強い神主様に違いない。
また、奈良県の丹生川上神社下社では、台風の警戒情報、洪水情報が出ているのに、断行してバスで四十七人が参加しました。外では、村の人たちが大騒ぎしている。私たち一人ずつが玉串奉奠をするのを黙ってお取次ぎしてくださった。神主様が平然と私たちの参拝を見守ってくださるのは有難くて、感謝の言葉も出ませんでした。
川の水が道路に溢れていたが、やっと京都に帰れました。しかし、川は決壊しませんでした。
絶対的なものを信じて近づくためには、自身が絶対的自覚を目指さないといけないと確信しました。
色々な勉強会が準備されました。
絶対的な神に近づくには、絶対的なものを学ばないといけない。そして、全面的に譲られた私たちは、それを習得しないといけないと、思いました。
最近、世の中が、これからどうなるかという事態が全世界に発生していますが、祈ることが大切です。そして、神から譲られた素晴らしい神話を学び、その智恵を活かさないといけないと思い定めました。
大志を抱きました。
一九九九年二月 上海の一流ホテルの一室に、初代総理大臣の伊藤博文が現れる。
しばらく気が付かなかったが、「ゼロポイントフィールド」との出合いでした。
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