top of page

『命を結ぶ、夫婦のかたち』(文:慶(kei))

(2025年5月25日配信ハッピーメール)





 田んぼに水が張られ、鏡のように空を映す季節となりました。

 

雷が鳴り響くたび、私は幼いころ祖父から聞かされた「雷様(らいさま)」のお話を思い出します。

雷が落ちることで田の土が肥え、良いお米が育つそうです。今思えばそれはまるで、夫(雷)の力を受けて、妻(田)が命を育てる姿のようだと感じます。

互いの存在があってこそ実るものがある、自然はそんな夫婦のかたちを教えてくれている気がします。日本神話の中にも、夫婦の物語が数多く語り継がれています。

国うみをされたイザナギ命とイザナミ命。

また、東征の帰路、海で自らの命を差し出して夫を救った妃を偲び、「吾が妻よ……」と嘆き崩れたヤマトタケル命の物語。

その慟哭の声が地名の由来となり、今も関東の地に「嬬恋村(つまごいむら)」として息づいています。

 

そして私にはもう一つ、心に深く刻まれた“夫婦の物語”があります。

それは、私が学んでいる占学・情報推命学の中に記されていた慰霊祭の記録です。帰ること叶わぬまま、日本が迎えに来てくれることを信じて待ち続けた、祖国に殉じた御霊たちのために、日本の神々に祈りを捧げ、深い祈りと厳粛な覚悟のもとで、昇天の儀が行われたことが書かれていました。

 

霊が成仏するには、人の身体を通して天に昇る必要があることを祖父から聞いたことがあります。

またそれを現実に担うことは、霊的な力を持つ者であっても非常に危険で、命をかける覚悟が求められることだとも話してくれたことが頭の中によぎりました。

そんな中、木村忠義先生の奥様は、自らのお身体を霊の通り道として差し出されました。

昇天のとき、奥様の体は血の気が引き、冷たく硬くなっていったと記されています。それはまさに、生死のはざまに立つような瞬間でした。

その瀬戸際で、木村先生が熱田神宮のご神剣で霊界とのつながりを断ち切り、奥様を現世に戻されたのです。

 

出発の前から万が一に備え、家を整理されて臨まれたと知ったとき、その祈りの背後には、どれほどの覚悟と信頼があったかを思うと、涙が止まりません。

 

木村先生は日本の神々の力を信じ、奥様は先生を信じてその身を委ねられた。そこには、言霊が形になった、静かでたしかな愛と信頼が息づいていました。

 

これは実話です。

 

けれど、私にとっては「神話を超えた神話」。夫に命を預け、妻を命で受けとめる。そのような夫婦のかたちは、深い信頼の上にしか生まれないのだと教えられました。

ふと自分自身を省みると、私は果たして、そこまで誰かを信じきれるだろうかと問いかける気持ちが生まれます。

夫に何かを求める前に、まず自分が何を信じ、何を預けることができるのか。そんな問いを胸に抱きながら、日々を生きていきたいと思っています。

 

私にとって『〇との出合い』は、人生の道を照らしてくれる教科書のような一冊です。

人と人、そして神と人との間に流れる“結び”の力を信じながら、これからも学びと祈りとそして感謝を忘れず、魂磨きの旅を続けてまいります。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。


やまとの智恵「占学」情報推命学鑑定士慶(kei)

Comments


Recent Posts
Archive
bottom of page