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娘のドイツ留学 (文:紅 暮葉)
(2025年9月21日配信ハッピーメール) 8/31の日曜日、娘は成田空港からポーランド航空ワルシャワ行きの飛行機に乗って、半年間のドイツ留学に旅立ちました。 今年の始め、通っている大学の協定校のドイツの大学院から入学許可が出たと聞いた時は驚きました。なぜドイツ?娘は現在韓国研究をしています。韓国研究をされている先生がそちらにいらっしゃるそうなのですが、授業がドイツ語ではわからないのでは?と聞きましたところ授業は韓国語だから大丈夫とのことでした。 娘はファーストペンギンのナンバーを持ち、たまに怖いものなしで、素早く行動に移します。今回も自分でとっとと決め、給付型奨学金を二ヶ所でゲットし、とんとん拍子で決まっていくので、何も言えませんでした。ところが出発前になって、体調を壊して動けなくなるわ、事務手続きが上手くいかないわ、パッキング準備が全く出来ていないわで本当に行かれるのかの状態になりました。 本人もあまりに急に何もかも出来ないことに不安になり、「なんでドイツに留学を決めてしまったのかな。時間が戻るならやり直したい」とまで言い始めまし


狭霧に包まれた今宮神社ご参拝 その1 (文:紅 暮葉)
(2025年6月29日配信ハッピーメール) 狭霧につつまれた今宮神社ご参拝 その1 私は前回の伊勢神宮ご参拝で、本当に木村先生とのご参拝は、かけがえのない時間を共有出来るまたとない機会と感じました。 ですから今回、前回の伊勢神宮ご参拝から僅か2か月ほどしか間隔があいておりませんでしたが、家族には強めに「行って来るから」、職場には「かけがえのないご参拝なんです」とお休み申請し、埼玉より出かけて参りました。 今宮神社にご参拝させていただくのは、今回が初めてです。今回神話がテーマですが、勉強もせずに、今宮神社=あぶり餅くらいの知識しかないまま、当日を迎えてしまいました。(とってつけたように事前に日本神話講座を聴講しましたが、やっつけ仕事では日本神話は理解出来ません) 当日、宿泊先の山科ホテルに8時40分に鑑定士同期が迎えに来て下さり、そのまま京都駅の方へ他の方をお迎えしました。 現地到着すると、鈴木講師が朝から颯爽とお榊を持ち、玉串奉奠講座を実施されていました。私は玉串のお役目には当たっておりませんでしたが、今後のため練習をさせて頂きました。動作がとに


深い感謝でいっぱいの伊勢神宮ご参拝(第二話) (文:紅 暮葉)
(2025年5月19日配信ハッピーメール) 深い感謝でいっぱいの伊勢神宮ご参拝(第二話) 猿田彦様に続き、アメノウズメノミコトに各自お参りのあと、猿田彦神社の境内の裏側に周り、ついに情報推命学的ご参拝が始まりました。木村先生が書かれた神様のお名前、祝詞が飾られ、祝詞の奏上が始まりました。 去年は倭姫命や色々な神様が出ていらっしゃいましたが、今年は少しふっくらとした女の神様、(多分天照大御神様かと思います)が先生の上でふわっと浮かんでいらっしゃいました。出てきて下さったことに深く感謝致しました。 皆で祝詞を奏上する時間は、素晴らしいかけがえのないひとときで、今年も参加出来たことに本当に感謝するとともに、今回参加が叶わなかった方々の分まで本当に下手で拙い奏上ですが、気持ちを込めて一生懸命頑張りました。 今回お世話係をして下さっているおひな会の方々が全員の背中に、先生の書かれた祝詞の半紙で擦ってまわって下さいました。ただただありがたくて、また涙が出そうになりました。震える声で「ありがとうございます」と言うのが精一杯でした。


深い感謝でいっぱいの伊勢神宮ご参拝 (文:紅 暮葉)
(2025年4月7日配信ハッピーメール) 3月29日、関東地方は冷たい雨がシトシト降る季節外れの寒い朝に、私は伊勢神宮に向けて出発致しました。 出発前にまず、我が家の氏神様にお参りに行きました。 なんと我が氏神様の主祭神は今回メインのご参拝場所に指定された猿田彦様です。 去年、新人で知り合いもいなかったので、二泊三日伊勢では寂しく一人で行動し、京都にサロンカーで帰る皆様を羨ましく思っていました。 そのため今回は、前日より京都入りして、当日は京都から一緒に行かせていただきました。 去年のご参拝では、木村先生がまず外宮で待っていて下さいました。色々な神様方に出てきていただくようにお願いして下さり、大変特別な雰囲気の中でのご参拝をさせていただきました。 しかし今年は、各々が外宮でお参りのあと、木村先生がいらっしゃる猿田彦神社へ向かいました。 猿田彦様に始めに個人個人でご参拝させて頂いている時、上から感謝の波動エネルギーが届きました。ふわっと何か上から降りてきたものに包まれ、なぜだかわからず、自然に涙がポロポロ出てしまいました。神社で


私の母の子育て① (文:紅暮葉)
(2025年1月13日配信ハッピーメール) 私の母の子育て ① 以前鑑定士養成講座で母との関係を問われた時、忘れていた子供の頃の事が突然走馬灯のように思い出されました。 私と母は今も二世帯住宅で一緒に住んでいて、喧嘩もないし、会話もよくするし、どちらかと言えば仲はいい方だと思います。 でも、小さい頃は私は3人兄弟の1番上で、面倒をみてもらうというより、いつも下の子の面倒をみていました。妹は弱視で生まれ、手術のために入院、年の離れた弟はひどい股関節脱臼で生まれ治療のために入院、その度に近くに住む祖父母の家に預けられました。 幼稚園の遠足も母が行かれないので、祖母が二人もついてきたりしました。 夏休みも父も母も忙しいので、祖母やら叔母やらと旅行に出たりして過ごしていました。 母は多忙な上、さらに自分の時間も大事にするので、私が学校から帰ってきてもあまり家にはいませんでした。妹は寮のある学校に行っていたので、弟を預けてテニスに没頭していました。 私はありがたいことに友達が沢山いるタイプだったので、特に寂しいとは思わず、毎日
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