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私の母の子育て① (文:紅暮葉)

(2025年1月13日配信ハッピーメール)


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  私の母の子育て ①

以前鑑定士養成講座で母との関係を問われた時、忘れていた子供の頃の事が突然走馬灯のように思い出されました。

 

私と母は今も二世帯住宅で一緒に住んでいて、喧嘩もないし、会話もよくするし、どちらかと言えば仲はいい方だと思います。

 

でも、小さい頃は私は3人兄弟の1番上で、面倒をみてもらうというより、いつも下の子の面倒をみていました。妹は弱視で生まれ、手術のために入院、年の離れた弟はひどい股関節脱臼で生まれ治療のために入院、その度に近くに住む祖父母の家に預けられました。

 

 幼稚園の遠足も母が行かれないので、祖母が二人もついてきたりしました。 夏休みも父も母も忙しいので、祖母やら叔母やらと旅行に出たりして過ごしていました。

 

母は多忙な上、さらに自分の時間も大事にするので、私が学校から帰ってきてもあまり家にはいませんでした。妹は寮のある学校に行っていたので、弟を預けてテニスに没頭していました。

 

私はありがたいことに友達が沢山いるタイプだったので、特に寂しいとは思わず、毎日色々な友人の家で遊んでいました。あまりによく来るので、私の好きなお菓子をいつも用意して下さる優しいお母様もいらっしゃいました。我が家に友達を連れてきても、母は健康志向で市販のお菓子はあまり買わないので、大してお友達をもてなせず、家にはあまりよぶことはありませんでした。

 

今思うと、その頃は母には言えなかったのですが、多分お友達をもてなしたり、毎年素敵な誕生会を開いて欲しかったのだと思います。

 

そのためか、私は子供が出来ると迷うことなく、総合職なのに仕事をさっさと辞め、育児に邁進しました。一人っ子でしたが、育てながら自分も子供に戻って沢山楽しみました。娘のお友達が来ると、素敵なおもてなしをし、誕生会などお呼びしてないお友達も来てしまうくらい人気でした。

 

 私は自分がお友達を呼ぶ事ができなかったという思いを、娘のおかげで昇華させていたのかもしれません。

 

 ②に続きます。お読み下さり、ありがとうございました。

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