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ご縁にふるえる (文:平井麻起)

(2025年3月18日配信ハッピーメール)




 


瀬戸内海に浮かぶ島に住んでいる。

わたしの両親が産まれて育った島だ。

わたしは、島から、橋ひとつ渡った場所で産まれ育ち、

しょっちゅう、島に渡っていので馴染みは深かったが、

「島に暮らす」をはじめたのは、9年ほど前のことになる。

 

のんびりした田舎暮らし、島暮らしを望んで、

この地に越して来たわけではなかった。

夫は、京都で新規就農し、

無農薬無肥料で畑をこつこつ続け、

7年の歳月をかけて、ようやく土壌が自然に還りつつある状況、

つまりは、土が生命力を蘇らせていた時に、

その畑を手放す決断をした。

それには、相当の覚悟が必要であったと思う。

わたしたちが出あい、一緒に生きていこうとした時、

その地を離れて、この島に来るしかなかった状況が訪れたのは、

みえない意図が働いていたとしか、思えないのである。

 

わたしたちが住んでいる島から、

フェリーで5分ほどで行くことの出来る、

小さな島がある。

かつて、村上水軍の造船所があったという島だ。

島に暮すひとたちは、その流れを持っているため、

二種類の姓を持つひとしかいない。

ある時、その流れを持たないひとが移住してきて、

別荘を建てた。

縁あって、わたしたち家族は、

その別荘の管理をすることになった。

夫は草刈りや家周りの整備をし、

わたしは、掃除や家の中を調える仕事を頂いた。

息子を保育園に預けることの出来ない状況があったので、

子どもを連れて出来る仕事を頂けたのは、

実に有難きことであった。

 

昨年、その別荘のオーナーから、

別荘を譲ってもよいというお話があった。

不安定な暮らしを続けている中で、

一定の収入があるのは有難かったから、

わたしは管理人として働いていた方がよいなと思ったけれど、

この流れを受け入れるしかないのは、どこかでわかっていた。

夫はさっとその流れに乗った。

別荘を維持していくための資金を捻出するため、

一棟貸のゲストハウスとして運営していくことを決め、

様々なややこしい手続きを、あっという間に行ってしまったのである。

 

ゲストハウスの管理のため島へ渡ったある日のこと、

島のひとに声をかけられた。

「あんた、ヒロヘイ先生の孫なん?」

ヒロヘイ先生とは、かつて教師をしていたわたしの祖父のことである。

「あんな先生はもう二度と出ん。この島でキャンプしたのも、ヒロヘイ先生がはじめてやった。」

この地でゲストハウスをさせてもらうことに、

おぼつかない心持でいた時だったので、

その方から頂いたことばに、

「もうやるしかないんだな」

というきもちが湧き上がってきた。

土地から許可を頂いたような、そんな感覚があった。

 

先のことなど、わからない。

ただ、今、何か縁あって、その地をお守りさせて頂く、

その役目を頂いたのだと思っている。

時期が来るまで、頂いた役目を全うするだけである。

 

平井麻起



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