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「笑いと祈りが寄り添うとき」 (文:慶(kei))

(2025年8月17日配信ハッピーメール)


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 夏の終わり、夕暮れの風にひぐらしの声が重なります。

お盆に手を合わせながら、ふと昔のことを思い出しました。

 

若い頃の私は、「結婚して、妊娠して、子どもが生まれる」それが当たり前だと思っていました。けれど現実は、二度の切迫流産を経験しました。あの頃は、不幸のどん底にいるように感じていました。

 

でも今思えば、その出来事は“大切なことに気づくための贈り物”だったのでは?と感じます。新しい命が宿りようやく臨月を迎え、子どもの名前を考えたあの日。友人や職場の仲間が集まって、たくさんの名前を出してくれました。

 

「やっとできたから、“やっと”なんてどう?」と笑いながら。その笑いの中に、みんなの祈りがあったことに、あの時はまだ気づいていませんでした。

 

ふと、落語の『寿限無』を思い出します。子どもに長生きしてほしいと願う親が、和尚さんに相談します。「鶴は千年、亀は万年。それでも足りぬなら……寿限無!」“寿に限りなし”と和尚さんは言いました。それはいい、と喜ぶ父親。さらに言葉を重ねて、最後には息を切らしながら名前を呼ぶ……。

 

笑いながらも、その奥には深い祈りがあることを昔の私は気づかず、ただ面白がって聞いていました。

 

木村忠義先生とお出会いさせていただいて、日本の言葉(言霊)や文化を学んだ今、笑いと祈りが寄り添う日本の優しさに気づくことが出来ました。

 

日常の中で、感謝できることがどれほど尊いかを知ったとき、私の当たり前が変わりました。先生との出会いがなければ、この幸せに気づけなかったと思います。

 

そして今、寿限無を聞くとやっぱり笑ってしまいます。息を切らして名前を呼ぶあのリズム、あの調子。でも笑いながら、胸の奥がほんのり温かく心を豊かにしてくれます。

 

日本に残る落語って、面白くて、やさしい、夏のひぐらしの声のように、心に残るものだと感じます。

 

だから、私は今日も笑いながら“ありがとう”を探しています。最後までお読み頂きましてありがとうございます。

やまとの「智恵」占学情報推命学鑑定士慶(kei)


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