『あなたの究極の思いやり、愛ですか?エゴですか?』(文:長谷慈子)
- 京都生涯学習カレッジ

- 10月17日
- 読了時間: 2分
(2025年9月15日配信ハッピーメール)

8月某日。1日30組限定でしか販売されない果樹園の桃を、奇跡的に手に入れることができました。
「限定」と言われれば言われるほど燃える私。評判の桃を母や妹家族、そして家族同然の親友にも食べてもらいたいという欲が、ふつふつと湧き上がりました。
全員に配り終え、改めて自分でも味わってみると、その瑞々しさ、爽やかさ、芳醇な甘さに心満たされ、悦に入っていました。ところが後日、妹から思いがけない一言が。
「桃が欲しいか、欲しくないかも聞かずに持ってこられても、非常に困る!」
さらに「身近な家族が言っても効き目ないから、仲の良い友達に“押し付け行為やめて”ってハッキリ言ってもらえたら助かるんやけど…」とまで。(注:訪問前に電話にて先方の在宅の有無確認はしております)
お豆腐メンタルの私には、相当堪える一撃でした。(今も疼きます…) 大切な人と美味しさを共有したいという気持ちは、思いやりではなく単なるエゴなのでしょうか。まさに【わたし 悩んでます】の世界です。
先日、木村先生のもとへ教えを乞いに伺いました。 エナジー6の私は「“思いやり”の解釈をもっと深める必要があります」と教えていただきました。愛が過ぎる自己中心的な思いやりではなく、相手の立場に立った思いやりを常に考えること。
「自分の完璧さを押し付けるのは、真のエナジー6ではありません」と仰る先生に、私は安直に「わかりました!完璧を大いに緩めれば良いのですね!(ゆるゆるラッキー!)」と意気揚々と申し上げました。すると先生から驚くべきお答えが。
「完璧ほど誤解がある。だからこそ、その上の完璧を目指さなあかんよ。」
完璧の上に、さらに完璧があるなんて想像だにしませんでした。すぐに楽な方へ逃げようとする、垢まみれの魂を恥じました。
その瞬間、ふと思い出したことがあります。 何時に帰るかも、夕飯が要るのか要らないのかも言わず、毎夜先輩たちと繁華街へ繰り出し、午前様で帰宅していた独身会社員時代。夕飯を用意しても、勝手に外食して帰ってくる私に、文句を言わなかった母。
「これが思いやりですか?」と木村先生にお尋ねすると、「これが真の思いやりです」と仰り、木村先生はお兄様の為に作られた思いやりが煮込まれたカレーのお話を聞かせて下さいました。
究極の完璧な思いやりを体現できるよう、日々精進です。
本日もご精読下さりありがとうございました。
金沢から“鑑定のち晴れ”をお届け 鑑定士 長谷慈子 |




















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