ご縁にふるえる (文:平井麻起)
- 京都生涯学習カレッジ
- 7月23日
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(2025年3月18日配信ハッピーメール)

瀬戸内海に浮かぶ島に住んでいる。 わたしの両親が産まれて育った島だ。 わたしは、島から、橋ひとつ渡った場所で産まれ育ち、 しょっちゅう、島に渡っていので馴染みは深かったが、 「島に暮らす」をはじめたのは、9年ほど前のことになる。
のんびりした田舎暮らし、島暮らしを望んで、 この地に越して来たわけではなかった。 夫は、京都で新規就農し、 無農薬無肥料で畑をこつこつ続け、 7年の歳月をかけて、ようやく土壌が自然に還りつつある状況、 つまりは、土が生命力を蘇らせていた時に、 その畑を手放す決断をした。 それには、相当の覚悟が必要であったと思う。 わたしたちが出あい、一緒に生きていこうとした時、 その地を離れて、この島に来るしかなかった状況が訪れたのは、 みえない意図が働いていたとしか、思えないのである。
わたしたちが住んでいる島から、 フェリーで5分ほどで行くことの出来る、 小さな島がある。 かつて、村上水軍の造船所があったという島だ。 島に暮すひとたちは、その流れを持っているため、 二種類の姓を持つひとしかいない。 ある時、その流れを持たないひとが移住してきて、 別荘を建てた。 縁あって、わたしたち家族は、 その別荘の管理をすることになった。 夫は草刈りや家周りの整備をし、 わたしは、掃除や家の中を調える仕事を頂いた。 息子を保育園に預けることの出来ない状況があったので、 子どもを連れて出来る仕事を頂けたのは、 実に有難きことであった。
昨年、その別荘のオーナーから、 別荘を譲ってもよいというお話があった。 不安定な暮らしを続けている中で、 一定の収入があるのは有難かったから、 わたしは管理人として働いていた方がよいなと思ったけれど、 この流れを受け入れるしかないのは、どこかでわかっていた。 夫はさっとその流れに乗った。 別荘を維持していくための資金を捻出するため、 一棟貸のゲストハウスとして運営していくことを決め、 様々なややこしい手続きを、あっという間に行ってしまったのである。
ゲストハウスの管理のため島へ渡ったある日のこと、 島のひとに声をかけられた。 「あんた、ヒロヘイ先生の孫なん?」 ヒロヘイ先生とは、かつて教師をしていたわたしの祖父のことである。 「あんな先生はもう二度と出ん。この島でキャンプしたのも、ヒロヘイ先生がはじめてやった。」 この地でゲストハウスをさせてもらうことに、 おぼつかない心持でいた時だったので、 その方から頂いたことばに、 「もうやるしかないんだな」 というきもちが湧き上がってきた。 土地から許可を頂いたような、そんな感覚があった。
先のことなど、わからない。 ただ、今、何か縁あって、その地をお守りさせて頂く、 その役目を頂いたのだと思っている。 時期が来るまで、頂いた役目を全うするだけである。
平井麻起 |
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