私の母の子育て ② (文:紅暮葉)
- 京都生涯学習カレッジ

- 8月27日
- 読了時間: 3分
(2025年2月21日配信ハッピーメール)

私の母の子育て ② 以前、私の小さい頃は母からほぼ手をかけられずに育てられたお話を致しました。こちらは続編です。
私は母の影響が強く出る数字を持っていますが、娘の育て方は母とは真逆で、赤ちゃんの頃から幼児教室や水泳に連れて行ったり、色々手をかけて育てました。
私は小さい頃あまり情報を与えられていなかったので、子供には色々な情報を与えるため、どこへでも連れて歩きました。また、私自身も情報を得るために、娘の学校や塾の参観は100%出席しました。
私の母はさすがに3人も子供がいたので、たまに私の参観日を忘れていることがありました。私の書いた作文が選ばれて、参観日に一人残って保護者の皆様の前で読んだ時も、母は来ていなくて、他のお母様からその話を聞いたそうです。
そんな私ですが、最も母の影響を強く受けているのは、食べ物です。 小さい頃から無添加食品を使ったバランスのよい手作りご飯で慣れているので、今でもそれは変わりません。 昔流行った赤いウインナー、ピンクのでんぶなどとは無縁な生活です。 この年まで大きな病気にもならずに元気でいられるのは、この食事のおかげと思います。 母から厳しく注意されたことで、1番覚えているのは「我を捨てなさい」ということでした。子供なので、自分中心に考えがちでしたが、わがままなことを言うと酷く叱られました。 若い頃の母は、不思議とあまりぶれない人でした。私が中3の夏から高校生二年生の終わりまで、親への反抗心から、突然受験勉強を辞めてしまっても、酷く怒ることはありませんでした。変に子供を信じていました。 そして、さらに母には魔法の言葉がありました。「まゆちゃんは、本当はやれば出来るのに」です。高校生の時、バンドばかりに集中し、教科書も学校のロッカーに置きっぱなしで、成績が悪すぎてどうしようもないと先生から三者面談の呼び出しを受けても、帰りは叱らずになぜか不二家でケーキセットをご馳走してくれ、また例の魔法の言葉を呟いていました。 成績がどんなに悪くても、その言葉があったので、なぜか自分でも、いつかやれば出来るのだと漠然と思いこんでいました。 確かに、その後の人生では、勉強でも仕事でも、コツコツ沢山の努力を重ねていけば、必ず結果はついてきました。 どんなに子供がダメになっても、親が本当は出来るはずと心底信じてくれることは、今では何より重要なことなのだと理解しています。 余談ですが、私の高校の時の同級生は、子供さんが全然勉強しなくても私の例を覚えているためか、いつかやるはずと信じてあげているそうです。 母は普通の主婦なので、特別なお話はありませんが、こちらに父のことを書かせて頂いていたら、次は自分のことも書いて欲しいとリクエストされましたので、今回2度に渡り、書かせていただきました。 2回に渡り長文をお読み下さり、ありがとうございました。
紅暮葉 |




















コメント